【名盤】グレン・グールド、最後のゴルトベルク

名盤レビュー

グレン・グールドの演奏するゴルトベルク変奏曲は私の人生を変えたと言っても過言ではない。当時高校生だった私はレンタルでゴルトベルク変奏曲のCDを借り、何の気なしに聴き、そしてしばらく忘れていたのだが、ある日ふと聴き直してみると、なにやら唸り声が聞こえてきた。これはイヤホンの外で誰かが唸っているのではなく、心霊現象でもなく、まさにこの演奏者本人が唸っているということを理解するまでしばらくの時間を要した。そしてその唸り声に意識を集中して聴いてみると、唸り声は同時進行する複数の旋律のうちの一つを歌っているのだが、それと同時に他の旋律が生き生きと演奏されていることに気が付く。

この瞬間こそ、私がポリフォニーの面白さにのめり込む第一歩だった。そして一人で2つ以上の旋律を生き生きと歌わせる超人、グレン・グールドの名前が脳に刻まれたのもまさにこの瞬間だった。

以来、私は何度この演奏を繰り返し聴いたことだろうか。何度も聴いたのは、何度聞いても理解しきれないバッハの音楽の深みというものがあり、聴くたびに新しい発見があったからである。グールドのバッハを聴くことを通じて、私の脳ミソはモノフォニーOSからポリフォニーOSへと徐々に切り替わっていったと言ってよい。同時に2つ以上の音の連なりに意識を向けることができるようになったことで、音楽が俄然楽しいものになった。バッハの音楽だけでなく、後の時代の交響曲や協奏曲といったオーケストラが奏でる音楽も今までとは全く別の次元で聴こえるようになったのだ。

こうして私をポリフォニーの世界に導き、より高い次元で音楽を楽しむを教えてくれたバッハとグールドには、感謝してもしきれない思いがする。彼の音楽に親しんでいなかったら、モーツァルトの交響曲がこれほどまでに面白いものとは思えなかっただろうし、ストラヴィンスキーやバルトークの音楽にシビれるということもなかっただろう。

グールドはこの曲をピアノで演奏しているが、バッハの時代にはピアノはなかった。バッハはチェンバロで弾いていたのだろうが、チェンバロではグールドのようなダイナミックな強弱や表情をつけた演奏はできない。その意味で、グールドの演奏はバッハそのものではない。それでも、バッハがグールドの演奏を聴いたとしたら、我が意を得たりと喜んだに違いない。そう、ここには間違いなくバッハの真髄が明確に表現されている。根源的に―ラディカルに―バッハの世界が広がっている。ラディカル・バッハ、これこそグールドがそのピアノで現代に蘇らせたバッハの姿だったと、私は思う。

グールドはこのゴルトベルク変奏曲を2度録音している。1955年のデビュー盤と1981年の晩年(といってもグールドは当時48歳だったが)の録音だ。どちらを好むかは人それぞれだが、私は最初に聴いたのが2回目の録音ということもあり、こちらを好んでいる。デビュー盤に比べると全体としてテンポが落ち、演奏時間も長くなっているが、その分一層表情豊かで、セクシーとでも言うべき魅惑的演奏だ。尋常ならぬ集中力により細部まで磨き抜かれ、各声部が命を吹き込まれたかのように躍動しているのはデビュー盤もそうだったが、デビュー盤以上に均衡美とでもいうべき世界が広がっているように感じる。

この録音を聴いたことがないなんて人生損してるよ、とついエラそうなことを言いたくなるクラシックの名盤はいくつかあるが、このグールドの演奏は間違いなくそのうちの一つだ。

レコーディング:Apr.22-25&May 15/19/29, 1981,
Columba 30th Street Studio, New York City

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